最近の情報について思うこと。

 最近、情報というか、ニュースについて考えていて。昨今のスマートニュース系というか、スマホから収集する情報って、その人が興味のありそうなものを集めて配信してくれますよね。そういうの何て言うんだか忘れちゃいましたけど。

そういう一連のサービスというか、「抜け」ている部分があるなあということがすごく気になっております。

例えば、スマホが普及する前って、新聞に掲載されている、もしくはテレビで流されているニュースは、自分の興味のあるなしに関わらず、こちらに向かって浴びせられる情報であり、中にはそこに載っていなければ決して読んだり見たりすることのないニュースがあるわけで、それは今まで全く興味がなかったんだけど、偶然それを見たことで「実はそれが非常に興味深いものだった。」とか「それに興味がわいた」的なものになったりする。

今のスマホによって自分好みに集められた視野の狭いニュースでは無く、不特定だけど、フェアなニュース。それは間違いなく自分の視野を広げるものだと思うのですよ。

情報過多な今の世の中で、効率良く情報を選ばなければならないとき、ある程度情報に偏りが出てくるのはしょうがないことだけど、この偏り=視野の狭さということをどこかで自覚しておかないと、ある種の洗脳に近い状態になっちゃうよなーと。これってとても良くないことだなと思うわけです。

本当に世の中のことを知ろうと思ったら、努力してフェアな情報を探さなくてはならない時代。そのためにあえて新聞を読むみたいなことが必要なんじゃないかなと。

確かにスマホは便利。youtubeや検索エンジンがあれば、一通りのことはできるし、自分の知りたい情報にアクセスできるし、勉強もできる。

でも、そこで自分の目に触れることのなかった「おすすめされてない情報」は、確かに興味ないものかもしれないけど頭のどこかに情報として引っかけておかないといろいろな判断を間違えちゃうかもしれない。

もともとは、こういう情報のとりかたが当たり前になってくると、ゲーム好きの少年のスマホにはゲームに関連するような情報しか流れてこないだろうし、そうなると好きなことに関してはどんどん知識がつくだろうけど、それ以外のことはほんとに何も知らないみたいな少年ができあがっちゃうわけで。そうなると当然、昔の子達がテレビや新聞や大人との会話なんかから仕入れていた語彙なんていうのも、今は学校の勉強以外で触れることなくなっちゃうからね。そりゃ語彙力落ちるだろってことを悶々と考えてたわけです。

そういう私のスマホも相当偏っていて。「サーフィン」「格闘技」「ガンダム」的な情報ばかり。(個人の趣味がばれますね。)だから、これ以外のフラットな情報を手に入れるために、テレビのニュースや新聞にはなるべく目を通すようにしています。

まあ、何が言いたいかというと、偏った情報の中でちまちまやってると成長しないんじゃない?って話でした。以上お疲れ様でした。

                           文責:依田

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