勉強が好きになれば勉強ができるようになる?

「勉強が好きになれば勉強ができるようになるんじゃないか?」
だから「勉強が好き」になるように塾にいかせたいという話を相談されまして。
確かにその考えは間違えではないんだけど、でも実際にそのプロセスを通る人はなかなかいないんじゃないかと思ったりもします。

というのも、そのプロセスが正しいとすると世の中すべて「勉強ができる人=勉強が好きな人」となってしまうんじゃないかと。これはいくらなんでもないでしょ。

そもそも「勉強が好き」って人は本当に勉強自体が好きなんかね。
良い点数がとれるから
まわりのみんなよりも速く問題が解けるから
良い点数をとれると褒めてもらえるから
良い高校良い大学を目指せるから…
など副次的なものが多いんじゃないかなと思います。

だってね、うちの塾の卒業生や自分の同級生、またいわゆる勉強ができる人を見ても純粋に勉強が好きっていう人はあまりいないと思うのですよ。今までたくさn良い点数をとってる人、勉強できる人見てきているけど、その人達だって我慢してるもの。
みんながテレビ見たり、スマホいじったり、ゲームしたりしている時間を我慢して勉強!
睡眠時間を削って勉強!
休みの日に遊びに行きたいのを我慢して勉強!
一生懸命我慢して勉強しているのだと思います。

じゃあ何でそんなに我慢して勉強するのかと言えば、そうやって我慢した結果、
良い点数をとれる喜びを知っているから。
褒められる喜びを知っているから。
自己肯定できることを知っているから。
高校や大学、資格試験、会社の試験などを通過する喜びを知っているから。
その方が後々自分の人生が得するであろうことを知っているから。
社会に認められることを知っているから。
だから我慢できるんだと思います。

私も学生の頃そこそこ勉強はできる方だったし、好奇心を満たすためにいろんな事を調べる、知りたいという広い意味での勉強は好きでした。もちろん今でも好きです。でも、好きこのんで学校の勉強をやったという記憶はないですし、自分も含め、私の周りの人間達も何にもしなくてよいのであれば、勉強するよりも、部活をやったり、楽器を弾いたり、音楽聞いたり、遊びにいったり、デートをしたりしてましたよ。

ただ、テストとかなんらかのミッションが与えられれば、それを通過することで自分が認められることがわかっているから、そういう「勉強できる人」たちはそのミッションに挑んでいくわけで。
そういった状態が周りからみれば「勉強が好きな人」状態に見えるんじゃないかと。そんな風に思うわけです。そしてそれをくり返していくことでどんどん周りから褒められる、認められる、自己肯定できるをくり返し、気がついたら「勉強が好き」状態になっているのかなと。

勉強できる人たちだって、そういった試験や何かのミッションがなければ勉強なんてしませんよ。何にもなけりゃ遊びますよ。ダラダラしますよ。ゲームしますよ。

もし、ほんとに勉強好きならね。そんなミッション無くても勉強しますよね。
「今日、映画見に行かない?」「いやー勉強したいからやめとくわ。」
「おう、今からゲームしようぜ。」「いや、今勉強がいいとこなんだよねー。」
こんな人いるか?そりゃあ中にはちょっとはいるかもしれないけど、なかなかいないだろーこんな人。
だからね「勉強できる人=勉強好きな人」ではないと思うのです。

なのでね、本題の「勉強が好きになれば勉強ができるようになるんじゃないか?」ですが、結論から言えば、「勉強ができるようにならなければ勉強は好きにはなりませんよ。」だから、ある程度結果が出て、周りから認められるようになるまでは、そしてそのことに自分の中で喜びを見いだせるようになるまでは我慢するしかないんじゃないかな。
その喜びがわかるようになるまでは我慢してしばらくは頑張りなさいよ。というのが結論です。

「我慢して勉強する」→「できるようになる」→「良い点数をとる」→「褒められる・認められる」→「楽しくなる」
これをくり返していると「好きになる」のかもしれません。
(あくまでも私の経験からくる持論です。)

以上 お疲れ様でした。
文責:依田


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